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伊藤龍稀顔画像やインスタグラム「よりを戻したかった」冨永紗菜さん刺殺事件

伊藤龍稀顔画像やインスタグラム「よりを戻したかった」冨永紗菜さん刺殺事件 事件

6月29日横浜市鶴見区のマンション駐車場で女子大生の冨永紗菜(とみながさな)さんが包丁で刺されて殺害され、伊藤龍稀(いとうはるき)容疑者が逮捕されました。

伊藤龍稀容疑者の顔画像やツイッター、インスタグラムなど調査していきます。

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伊藤龍稀容疑者顔画像とプロフィール

伊藤龍稀女子大生刺殺事件

こちらは伊藤はるき容疑者送検時の画像ですがうつむいてしまっているため顔ははっきりとはわかりません。ネット上で20代にしては白髪が多いのではと言われています。冨永さなさんからの別れ話や復縁が叶わないことからストレスで白髪が増えてしまったのでしょうか。

伊藤龍稀女子大生刺殺事件

伊藤龍稀女子大生刺殺事件

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こちらは中学時代の伊藤龍稀容疑者です。中学時代はスポーツ万能で明るく人気者だったようです。サッカー部でもキーパーとして活躍していたようです。

同級生の証言では

ムードメーカーみたいな感じですごくフレンドリーで明るい人。常に前に出てふざけたり、という感じ。あと、最後にこういうこと書いてくれるような良い人だったんですよね
伊藤龍稀女子大生刺殺事件
体育祭と球技大会優勝!! たくさんの思い出がありました今までありがとう 高校でもがんばれ 夢 伊藤はるき
友達に感謝と共にエールを送っていますね、同級生もこんなこと書いてくれる良い人だったと言っています。
高校に入ると少しようそうが変わってきます。
高校時代の同級生
一緒のクラスだった時に『友達になってください』って言われて。結構大人しめの子だったから。どうしたんだろうなと思いながら友達になろうみたいな感じになったんですけど
最初はおとなしかったみたいですが途中から急にグレたと言われています。
途中から急にグレた。急にヤンキーになった。先生が注意したら『あ、なんだよ?』みたいな。不登校みたいな感じで、やめたのかやめてないのかも分からない
母親が再婚して山形に行った時置いて行かれたとありますが、この頃と一致するのかもしれません。
伊藤龍稀容疑者プロフィール
名前:伊藤龍稀(いとうはるき)
年齢:22歳
住所:横浜市鶴見区本町通3丁目
職業:自称会社員(無職?)

伊藤龍稀容疑者ツイッター

伊藤龍稀容疑者のものと思われるアカウントが複数ありましたがほとんどが鍵アカで実際の投稿は見ることができませんでした。

伊藤龍稀女子大生刺殺事件

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伊藤龍稀女子大生刺殺事件伊藤龍稀女子大生刺殺事件

伊藤龍稀容疑者インスタグラム

伊藤龍稀女子大生刺殺事件

漢字で検索すると伊藤龍稀ははるきではなくりゅうきの読み方がほとんどで見つかりませんでした。ひらがな検索ならヒットするアカウントはありましたが伊藤龍稀容疑者のものと特定はできませんでした。

集英社オンラインよりインスタグラムが特定されていました。

伊藤龍稀女子大生刺殺事件

伊藤龍稀女子大生刺殺事件

中学時代の友人は
龍稀はインスタのアカウントを持っていて、この3737って数字のやつは、一番最近のやつかひとつ前のやつですね。これってもう紗菜さんに対してDMを送るためだったりアピールするためのアカウントで、それがいくつもあるんですよ。自分も全部フォローしてるわけじゃないですけど、『ソーリーサナ』ってアカウント名もありましたから。何とかしてよりを戻すために、そうやって紗菜さんにいろいろ伝えようとしてたんだと思います
インスタグラムのDMでなんとか冨永紗菜さんと連絡をとり、よりを戻したいと思っていたのですね。こちらのアカウント以外にも複数のアカウントを用いて冨永さなさんに連絡をしていたものと思われます。
「ソーリーサナ」も調べてみました結果1件のアカウントがヒットしました。
伊藤龍稀女子大生刺殺事件
こちらは投稿もありませんし伊藤はるき容疑者のものと確定できる情報はありませんでした。
冨永紗菜さんにDMを送るだけのアカウントであったかもしれませんが特定はできませんでした。

伊藤龍稀容疑者の家族

伊藤龍稀容疑者は中学時代には母子家庭で、弟と妹がいます。そしてもう1人不良っぽい義理の父親がいたそうです。そのせいか伊藤はるき容疑者は家に帰りたくないと週に2〜3回家出をして警察沙汰になり余計に母親から冷たくされていました。

あいつは17歳で高校を中退したんですけど、ちょうどそのくらいの時期に母親が山形に引っ越すことになったんです。弟と妹は連れられていきましたが、あいつは置いていかれました。母親は再婚していたので、その関係かもしれませんが、詳しい理由はわかりません。あいつはそれから一度、山形に行って、『母親に冷たくされた』と帰ってきたことがありました。親から愛されてない感じはしましたね
母親に置いていかれ、会いに行っても冷たくされて戻ってくるとはやりきれない思いでいっぱいだったと思われます。
このような経験から、冨永紗菜さんにも異常なまでに固執してしまったのでしょうか。

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